アニマルコミュニケーションのご案内

2011-05-31

風太、上へ

風太の遺灰を日曜日に受け取ることができました。
胸に抱いて泣きました。
それからなんだか悲しみがぶり返してきてしまったけれど、
昨日、夫から風太のメッセージを聞いて理解できたことがあって、安心できました。


今日、風太は上へ上がったと思います。

今までは魂になって、私たちのそばで見守ったり、メッセージを伝えたりしてくれていました。

私も夫も風太から、上へ上がるメッセージをそれぞれ受け取っていました。


夫は朝、子犬の時の風太につんつんされて起こされたと言います。

私は、部屋の床に転がるふわふわの綿毛状の種を手に取り
「風太の子犬の時の綿毛みたい」
と思った時、
「行くね、行くね」
という声が聞こえました。

ああ、今日行くんだな、と思いました。

ありがとうとおめでとうを伝え、送り出しました。



風太が上へ上がる日の空を記念に。
小さな光がうつっていました。



今日は雲ひとつない、よいお天気。
上へ上がるにはよい日な感じ。

風太の体での生を卒業できて、おめでとう。

「遺灰が戻って来るまではそばにいてね」
という私の願いを聞いてくれて、ありがとう。
そしてずっとメッセージをくれて、私の理解と癒しを促してくれて、ありがとう。



地球の美しさを見せてくれます。
同じ時期に、この地球で暮らせた幸せ。



琴のこと、大好きなんだって。
琴をだいじにしてくれ、って。





美しい地球を見ながら、美しい宇宙へ行くんだね。

あちらに馴染んだら、またお話しましょう。


愛しているよ、風太。

ありがとう、風太。





2011-05-29

生き返る夢

土曜日の朝、風太が生き返る夢を見た。

私は風太を抱っこしていて、

風太は大きく息を吸って、生き返った。

地面に降ろすとチッチといいうんぴをした。

「久しぶりに生き返ったから、よたよたしている。これからゆっくりと回復していかなきゃね」
「でもこれでやりたかったこと、できる。ハンバーグを作ってあげて、カフェに連れて行ってあげて、ずっとそばにいて肩をもんだり頭をぶにぶにしたりするんだ。いっぱい話すんだ。」

と思っていた。

すぐに、夫の寝息で目が覚めた。

いつもの現実があたりまえのように、待っていた。

「なんてことするの」
そう叫びたかった。訴える相手は誰よ?って感じなんだけど。

涙は、出なかった。


金曜日は、風太がいなくなってから、初めて泣かずに一日を過ごせた。
前の番、出張から帰ってきた夫と、眠くなるまで、風太の寝方について笑いながら話した翌日だった。

iPhoneのロック画面を風太の写真に、できた。
一度満面の笑みの風太の写真ににしてみたけれど、まだその時は早すぎたみたいで、見るたび胸がズギュン、としたので、元の蓮の写真に戻した。
今の画面の風太は、笑ってはいなくてじっと私を見上げている写真。
その静けさが、今の私にはちょうどいいみたいで。


夫の変な体操を見て大声で笑ったりもできた。
カフェの隣の席のアメリカ人カップルとも笑いながらいろいろな会話できた。

楽しく時間を過ごせている。
琴を連れてレストランに行ったり、サンダルを買ったり、
公園の緑を見たり、新しいお店に入ってみたり。



風太は、今は私には「ありがとう」としか言わない。
 オレは幸せだったよ!
 こういう笑顔がオレだよ!
笑顔がそう伝えてくる。







2011-05-27

元気をくれるお花たち

義理の兄夫婦からお花が届きました。ランとあじさいがスタイリッシュに生けられて。


まぁるい感じが風太っぽいね

風太のこと、義姉と直接話したいなぁ〜と思っていた日にお花が届いて、ちょっとびっくり。最近シンクロ多い。

さっそくお花のお礼をきっかけに義姉に電話しました。
義姉はとても柔らかい感じで受け止めてくれる人。
同じく二匹のワンコと暮らしていて、いろいろ教わったし、今の気持ちもわかってくれるし、人生の先輩です。
義兄夫婦は、血がつながっていなくても"家族"という感じがすごくするのです。

我々夫婦が旅行中に、我が家にてお留守番の風太を義姉にシッターをしてもらったことがあります。
姉の、
「風太がへそ天してくれたの。リラックスしてくれたんだ、と思ってうれしかった♡」
という言葉で、私はあのポーズを"へそ天"と表現することを初めて知りました(笑)



昨日、飾りっ気皆無の、極めて業務的な小さな細長いお花屋さんを見つけました。
今まで何度も前を通っているはずなのに、気づかなかった。

私と夫は、よく、がらんどうのお店に入って、気づくと他のお客さんで店内いっぱい、という事象に遭遇するのですが、

昨日も、最初、客は私しかいなかったのに、気づくと小さな店内に人ぎゅうぎゅうになっていて、身動き取れなくなってました(笑)



旬のお花 ライラック

なんだかとても懐かしい香りがする。なぜかお人形さん遊びを思い出す。

昔、漫画のキャンディ・キャンディで、キャンディがコックさんに教えてもらいながら初めて焼いたアップルパイにライラックをのせて飾ったのに憧れてね…(笑)
確か大おばさまにプレゼントしようとするのだけど、結局イライザにパクられるかなんかして自分の手柄みたくされちゃうんだけどね。




元気いっぱいのローズたち

お値段の話も何ですが、なんと24本で12ドル! いいのでしょうか、って感じです。



ハドソン河沿い Pier I Cafeの小さなバラ園

この日は曇りでしたが、ある晴れた朝にぼーっと見てたら、それはきれいな青やエメラルドグリーンのオーラが見えました。
すごい生命力を感じました。



食後は



ちゅぱこ

自分のおててをちゅぱちゅぱ…



いけない?


いいえ。



こんな横顔に大人を感じ

こっちゃんは、今、7歳。人でいえば44歳。あら、私とほとんど同じ。
これからは追い抜かれるのねぇー

ちなみに琴ちゃん、来たばかりでまだ名前が決まっていない時、おやぢに

"花ちゃん"

って呼ばれていたのよ。







2011-05-26

陰陽と無常

光と影

生と死

出会いと別れ

喜びと悲しみ

満足と欠如

痛みと解放

破壊と創造

始まりと終わり


すべては陰と陽

全部 対

片方だけでは存在しない

片方だけを味わい続けることはできない

全部 両方


そしてすべては変化し続ける

すべては無常


地球という丸い玉で

宇宙という空間で

すべては無常


無常なのが本質なのに
それを忘れて常だと思っていたり願っていたりするから
無常が苦になる時がある
無常を堪え難く感じてしまう

一方、その苦は耐えられる、やり過ごせる

…って思わなきゃ
しょうがない

宇宙の本質を思い出した時
それは苦でなくなるはずだから



永遠ってあるのかな
無限ってあるのかな

永遠に変化し続けて、その先には何があるのかな


無常であるということは

感謝と忍耐


無常であることは

容赦ない けど ご褒美でもある

喜びも悲しみも たぶん永遠にはつづかない

少しずつ離れ 少しずつ忘却していく



私たちが暮らす現世と地球がHOMEだと勘違いしていたけど

たぶん、HOMEは別のところにあるのでしょう

そのHOMEも変化しつづけているのでしょうか

なんにせよ

いっしょの時期に、この地球に降り立って
いっしょに暮らせるのは、ものすごくラッキーとしかいいようがない



どうしてここまで勘違いしていたのか

どうしてここまで知らなかったのか

必要あって忘れてしまっているのだろうね

いろんな体験を通してまた思い出すのでしょう

すべてはとどまることなく変化していくことを



永遠にいてくれると思ってた



2011.4.20

Battery Park

地下鉄に乗って、バッテリーパークへ行ってきました。


地下鉄の中でし







るるる♪



風ら〜 海のにほひ〜



自由の女神
なんか真似しているのがたくさんいるね



キラキラ



けっこう暑い一日



あへあへ
ママこの後ベンダーから水買って1ドルぼられたよね
くぅ…



City Hallの前で


Tribecaを通り抜けCanal Streetまで歩きました。
途中で店先に座っている、日本語を話す黒人二名に話しかけられました。

「ボクとアナタ、友達ネ!」
…勝手に決めないでほしい。

ア「なにをしていますか?」
私「主婦です」
ア「サーファー?!」
私「シュ・フ!House wife!」
ア「Ah〜house wife, 主婦ネー」
私「何年日本語勉強してますか?」
ア「ニホンイキタイ、ニホントシゴトシタイ」
…通じてない

ア「ボクのex-girl friendと似てる。東京の東京から来たの?」
私「東京の世田谷です」
ア「セタガヤ、しってるよ」
私「ふーん、じゃあ三茶は?」
ア「シラナイ。セタガヤは知ってる。I know all of Setagaya.」
うっそーん…

だんだん日本語と英語で変な会話になってしまい、「ワタシハ、この子(琴)にごはんをあげなければならなーい」と伝え、立ち去らせてもらいました。






2011.4.25
ボクちんは、ママのそばにいるとです


会いたいんけど?


その辺飛んでるよ
琴は見えてるよ




2011-05-23

無臭だ

こっちゃん初バス。

こっちゃんをバッグに入れて移動することが多くなり、母、腰痛なり。

すぐ「だっこ、だっこ」になるこっちゃん。



ちょっとでも積極的に歩いてくれると母、うれし。







数日前、リビングのラグの上に、風太の毛を一本見つけました。
今日、バッグの中のタオルの上に二本見つけました。

…少なっ
晩年風太は薄毛だったので、あまり抜け落ちていないのです。
しかも、なぜか亡くなる数日前、徹底的にカートを掃除し、ベッドカバーも洗っていて、すっきりさっぱり、きれいなもんです。


風太の魂が体を抜け出た後そのまま病院を訪ね、いろいろ確認してもらった後、個室でしばらくの間家族の時間を持たせてもらいました。
私と夫はかわりばんこに風太をだっこしました。

体はまだあったかく、瞳は黒々している。
さきほどどんどん光を失っていった瞳が、光を取り戻したように濡れている。
目が合っている感じがする。
「風太、こっち見てる。私を見てるよ。目が合うよ。」

肉球はまだ柔らかい。
「まだまだ使えそうなのに、もったいない…」

抱きなおすと小さく
「くふ」
と言った。
生きているのかと思った。
だって、いつも抱っこする時出す声といっしょ。
「おふくろ、気をつけて抱いてくれよ」って言う時といっしょ。

でも、単に、体が動いて、漏れた空気だったんだろうね。


私は、風太の脳天のにおいを嗅いだ。
大好きな匂い。生きている時と何ら変わりなく。
おひさまに当たっているような匂い。
風太の油分がついた毛の匂い…


しか〜し!


風太が使っていたタオルも、ベッドも、におわないのです!
いくらスーハースーハーしてみても、まったくもって無臭
そもそもポメラニアンはあまりにおわない犬種ではありますが。

私はあきらめて、彼が最後に使っていたタオルを容赦なく洗濯できました。
(まだお洋服はそのまんまですが)


ここまで痕跡を残さぬとは…おそるべし、風太。

まさに、

立つ犬、跡を濁さず。









2011-05-21

夢に

私は薔薇の花が好きでね。

薔薇の葉っぱも大好きなんです。


2011.4.22
あの時の薔薇の葉っぱから、



今、こんなふうにお花がきれいに咲いています。



きれいね。
時は、すすむね。



風太がいなくなってから、あっという間に一週間がたちました。
“一週間”とか、人間の時間軸でしかないけれど。


シカゴのロージーママが電話をくれて長電話。
同じ頃に地球にやってきて、同じ頃に旅立ったロージーと風太について、分かち合いました。

「イースターの週や13日の金曜日に旅立つあの子たち…キリストか!」
と突っ込まざるを得ません。ふふ。



風太がやっと、夢に出てきてくれたような気がします。
いつもみたいに笑って、いつもみたいにうごめいていたような気がします。

あまりよく覚えていません。

なんてことのない、風太がそこに居るだけの夢だったと思います。



もともと食いしん坊な私にしてみれば食欲はまだ本調子ではないけれど、夜はよく眠っています。夢も見ずに寝ています。久しぶりにやっと見た夢だと思います。


日中、エネルギーワークをした後、ソファで座ったまま眠っていました。

起きて、ぼんやりとおだやかで、
きっと眠っている間に心や体の調整がされているのだなぁ、と思いました。

必要な交信もしているらしいけれど、何も記憶にございません(笑)

魂におまかせしときます。

睡眠はだいじです。


今日風太は、時々、私の左側にそっと、ぽっと、あったかく、寄り添っていてくれた気がします。


琴は、お散歩であまり歩きません。すぐだっこです。

ごはんはちゃんと食べてくれますので、その点はよいのですが。



あしたもおいしいもの、たべようね。




2011-05-19

なんでかというと


今朝は日本の友達と電話でしばし話しました。

犬と暮らし、仕事を持つ友達は、ずっと犬たちといられる私をうらやましい、と言う。
私もそれはありがたいことだと思う。

でもね、犬がいなくなった空間にもずっといなくちゃいけないのよ。

働いていれば、少しは気がまぎれるものなのかしら?

風太はちび太だったけれど、それはそれは大きなエネルギーを発していたみたい。

おうちのバランスは崩れたまま。

このバランスにも、いつしか慣れていくのでしょう。

私も、琴も、夫も。


ってことで、つい琴を連れて外に出てしまう私。



セントラルパークのベンチでひとやすみ



静かに綺麗な絵でも観たいけれど、まだ琴ちんは一人お留守番させたくない。
ふと、カード屋さんPapyrusに入ったら、そこは小さな美術館のようだった。


たくさんの綺麗で可愛いイラスト
ひよこちゃんのが気に入った!



GRADUATION…
そうかもね…



わんちゃんが、学生帽かぶって海に向かっているカード
Sit, ponder, take a minute to realize all that you've done.
風太もいつか、中間世でそうするでしょう
私も地球で、そうするでしょう




私が今、狂わないで生きていられるのは、いろんなおかげです。

アニマルコミュニケーションを勉強したおかげ。

エネルギーやヒーリングを勉強したおかげ。

日本で、亡くなった動物さんとのコミュニケーションをさせていただいていたおかげ。

親のおかげ。

親戚のおかげ。

友達のおかげ。

日本のクライアントさんのおかげ。


ハイヤーセルフのおかげ。

神様や天使や聖人のおかげ。

たべもの、のみもののおかげ。

お花や樹木、風や光のおかげ。


夫のおかげ。

琴のおかげ。

そして。


風太のおかげ。


風太は、弱い私のために、これでもか、というくらい完璧な計画を建て、実行してくれたのでした。


できるだけ私が傷つかないように。

できるだけ私が泣かないように。

できるだけ私が狂わないように。


弱い弱い私を、なんとか助けたいと、心と魂をくだいてやってくれたのです。

そんなからくりが、あとからあとからわかってきます。

それを知ると、口がぱくぱく、何も言えません。

文句のいいようもないし、ぐずぐず泣きついたりも、できないのです。


ああ、そこまで用意してくれたの。

わかったよ、はいはい、がんばりますよ、できますよ。

そう言うしか、ないのです。

いろいろ時間はかかるだろうけど、

でも、思っていたより、辛くはないのです。




風太のベッドはふたつ、並べて置いていました。
ベッドからベッドへ、しゃがんではずみをつけ、ぴょーんと弧を描いて隣に飛び移るのが風太のブームでした。15歳の風太にとっては、けっこうな運動量だったと思います。

先週の今日も、風太は朝からぴょんぴょん行ったり来たりしていました。

「今日は随分飛ぶねぇ〜」

私は風太に声かけました。

そんなに元気だったのに、その日の夕方から急に元気が無くなりました。

たぶん、風太の生の中で、一番ぴょーんが多かった日なのにね。




ニューヨークは今週ずっと雨か曇りで。
今、ちょっと晴れています。

昨日、気晴らしに琴と雨の中散歩していて、どしゃぶりになりました。
店先で休んでいました。


こんなに雨が降るなんて。


カラッと晴れてくれれば気分も少しは晴れそうなのに。


ふと時計を見ると、ぞろ目でした。

風太が逝く前からすごくぞろ目を見るようになっていて、111とか222をよく見かけました。

昨日は333。

偉大な存在が私のそばにいてくれることを感じました。


そして、雨は、街に残る風太のチッチやうんぴのかほりをきれいに洗い流すのだと、知りました。

私は、
「ここで風太は最後のチッチをした」
「ここで風太は最後のゆるいうんぴをした」
といちいち思い出してしまいます。

「まだ匂いがあるはずだ、まだ成分が残っているはず」
と知らず知らずに思い描いています。

そんな、風太への物質的固執を、大きな自然というものが淡々と洗い流してくれているのでした。



「これだけ降れば、もう無いわね」



そして、今日もマンハッタンのわんこたちがチッチとうんぴのかほりを重ねていくのでした。



あたちも重ねるよ




2011-05-18

琴の痛み

今日はアタクシ元気ないよ!しょうがないね!
でも書くことは私にとって癒しみたいなので、積極的に書けるよ!
デジタル文化よ、ありがとう。


風さんの魂は昨日、だんなのオフィスに行ったようだね!
私もだんなも同じこと感じてたという。


私は

「もっと風太の光を感じたい。なんでもっとはっきり見せてくれないの?」


と風太に訴えた。

すると

「ママは見えちゃうと、ずっとボクの光を探すでしょ、ずっと目で追おうとするでしょ。そしたら目の前の琴を見なくなっちゃうでしょ。」


って。

ああ。ばれとる。

「その代わり、ちゃんとまわりの人に伝えたりしてママにわかるようにしているから。」

ふーん。確かに。


琴は、私がダイニングの椅子に座ると、隣の椅子に座りたがるので座らせます。
ごろん、と寝ます。
時々平然と背もたれと逆側に寝返り打って落ちそうになるので「ちょっ!琴っ」って押さえます(笑)ひやひやしますよ。


昨日も椅子で眠り始め、いびきをかき始めたので、気分が安定していた私はレイキの第4シンボル&マントラの助けを借りこっちゃんボディに光を送ってみました。

すると、すぐさま、私の胸がずぎゅん、と痛みました。
すごくすごく痛くなってびっくりしました。

それが、琴の胸の痛みだとすぐにわかりました。

琴は風太を失って、これほどまでに悲しみで胸を痛めていたのか、と気づきました。


私はどこか、動物は人間よりスピリチュアルで、真実を受け入れることができて、死をも素直に受け入れているんだろう、琴もそうしているんだろうと思っていました。
そして、自分は自分で、スピリチュアル的見地からどんどん風太の肉体との別れを受け入れ、前へ進んでいました。


ところが、琴は風太との別れがものすごく悲しくて、ママの前向きなスピードについていけなくて、痛みと混乱と焦りを感じていたのでした。

私は反省しました。


人間は泣いたり、書いたり、しゃべったりして悲しい感情を整理したり浄化したり癒したりできる。
でも犬は泣けない。書かない。声に出してはしゃべらない。
悲しみは全て、体や心に来てしまう。
また、人間と暮らす犬は決して野生動物ではなく、人間と同じ環境で暮らし人間に似たメンタリティも持ち合わせるようになっている。野生動物とは死の受け止め方が違うかも知れないのです。いや、野生動物だって、死は受け入れるものの、ものすごい心の痛みを感じているでしょう。


そういえば、人を通した風太からのメッセージで

「琴の前では悲しい顔をしないでほしい。
 琴が自分が悪いと思ってしまう。」


と聞いていたので、琴から離れ、独りでベッドルームで泣いていた時がありました。


その時風太から

「ママ、泣いていいんだよ。人間にはその機能があるんだから。」


と言われました。


「だったらどうして琴の前で悲しい顔しないで、って言うの?」


と聞くと

「犬にはその機能が無いから。」


と言われ、はっとしました。


「犬は、涙にはできないから、全部体に来ちゃうでしょ。だから。」


と…


ハイヤーセルフ(高次元の存在)に琴にどうしてあげたらいいか聞くと

「風太が琴を守っていることを何度も琴に伝えなさい。」
「琴も時間がかかるのです。ゆっくり時間をかけるしかないのです。」


と教えてくれました。


私は風太の魂のアクティブさに注目し、喜び、自分もがんばらなきゃ、どんどん進まなきゃ、と思い、実際すごいスピードでいろんなことを理解してきていて前へ進んでいるような気になっていました。
しかし、そういう状態を横で見聞きしていた琴は、まだ混乱とショックと痛みの中で、自分だけ置いてけぼりの気持ちだったようです。
私のペースに巻き込んではいけないんだ、と気づきました。


「琴も胸がこんなに痛かったんだね。こんなに悲しかったんだね。悲しいよね。ごめんね、ママ急ぎ過ぎてたね。ゆっくり、いこうね。」

そう伝えると、琴はふわぁっとあぐびをして

「わかってもらえて、よかった」


とあらわし、また眠り始めました。








2011-05-17

風太と琴の引き継ぎ業務

12日、風太にカステラをあげてから私は4時間くらい出かけてしまいました。

帰ってしばらくしたら、風太の具合がわるくなっていきました。

私はいつもならほとんど家にいるのに、あの日だけ、なんだか気分が軽くなり、積極的に外へ出て行ってしまったのです。

なぜだろう?残された時間は少なかったのに、なぜよりによって、出かけてしまったの?

そう思いました。


その4時間の間、風太と琴は引き継ぎ業務をしていたのでした。


「琴、オレはこれからこうなって、こうなって、こうなって、で、その時ママとパパはこうなるからな」(と、肉体を離れる前後のこと、悲しむ私たちのことなどを映像で見せる)


「琴、おまえにママを託すからな。たのむよ。甘えてばかりいないで、助けるんだぞ。」


「パパとママや喧嘩した時は、おまえがふたりの絆となるんだぞ。」


「こういう時はこうしたら、いいんだよ。こういう時は、こう。」


そんなふうに話し合ったようです。



私がいちゃあ、落ち着いて引き継ぎできないって(笑) だからあの4時間に。

私が家にいては
「あっ、風太、かわいー 写真撮ろっ あーん、こっち見てよ」
「こっちゃん、椅子乗る〜?」
とかなんだとか邪魔するでしょうからね。
もし具合わるくなったとしたら
「どうしたのっどうしたのっ」
ってパニクってうるさいですからね。

すべては計画されているのですね。


2011.3.27




ありがとうの毎日

月曜日になって、夫が出勤してしまい、私は自力整体をやって体をほぐしていました。

とても軽くなりました。

涙腺のストッパーも軽くなって、どうにもたまらん、となってしまい、ずうずうしくもポメ仲間さんに甘え、琴とふたりで突然お宅に押し掛けました。

ふだんこんなことする私ではないのだけど、
風太が「行け行け」って。


ぎゃんぎゃん泣いちゃうのかと思ったけれど、

たくさん風太の思い出や、魂の話や、アフリカの話!までして
いっぱいおしゃべりして楽しい時間を過ごしました。

気づくと夜の8時!

楽しい時間を過ごしました。本当にありがとう。
風太もいた気がしますよ。


コロンくんといっしょに。琴がくるる…とえばってるの図
(コロンママさん撮影)




そして、日本の友達がお花を送ってくれ、日曜日に届きました。

うっとりするような香りがただよい、癒されています。深呼吸しています。
ありがとう。



天使様がおられますよ。
初めて子犬の風太と出会った時、
「天使だね〜♡」
と思わず言ったことを覚えています。



こっちゃんは、まだひとりにはできません。
いつでもいっしょです。
この子はひとりでお留守番をあまりしたことがないです。
でも風太も助けてくれると言うから、そのうちがんばれるね。
今は、いいよ。


私は、時や距離を超え、多くの存在、多くの命、多くの言葉に助けられていると感じています。

愛がいっぱいです。

私の内にも、外にも。






2011-05-15

はしゃぐ魂


私はね、

「鳥になりたいなぁ。鳥になって自由に空を飛びたいなぁ」

って思っていたの。

今、魂になった風太は、そんなふうなんだね。

きっと、鳥よりももっと軽やかなんだろうね。


風太が飛び立った日の空




昨日、風太からのメッセージをある方を通し受けました。

風太は今、エネルギー体になって、とっても軽やかに感じているんですって。

「こんなに楽だとは思わなかった!」

っていうくらい。

調子にのってびゅんびゅんいろんなところ飛び回っているようです。

私たちのまわりにも来てくれます。

どっか行っちゃうときもあります。

「せめてお骨が戻って来るまではそばにいてほしい」とお願いしてあるので、それまでは行ったり来たりしてくれていると思います。

メッセージもくれます。

どんどんくれます。

私には悲しみとさみしさと、

安堵と希望とが、同居している状態です。

予想外なほど。


風太は、若い頃、散歩の前と後に部屋中、マンションの廊下中をダッシュするやんちゃ坊やでした。勢い余ってよそのお宅に走り込んだこともあります。
散歩で散々疲れたであろうにどうしてまだそんなに走れるの?っていうくらい家中を走り回って笑っていました。

散歩では突然私や夫を引っ張って突っ走り、私たちはやっとの思いでついていくのでした。

今またそういうふうに自由に速く動けるようになって、はしゃいであちこち行って楽しんでいるようです。

そして時々私たちを助けに来てくれます。教えに来てくれます。

生きている時より、もっと密でもっと早くてもっとストレートな気がします。

風太は

「これから忙しくなるぞ!」

と張り切っていて、わくわく楽しみな気分なんですって。


2011.5.5

「ひとりで勝手にそんなに軽くてずるいじゃない?私も一緒に飛びたい。」

って言ったら

「ママはもっとがんばってからじゃなきゃだめ。」

ですって。


はーい。




2011-05-14

風太

これはDiaryだから、いつかこのことを書く日が来るんだろうと思っていました。


5月13日金曜日の朝、風太は死んでしまいました。

私と夫と琴といっしょに、ニューヨークの空の下、自分のカートに乗ったまま、旅立ちました。急なことでした。

心臓・肺・気管に病気があったので、急変することはあり得ます。結局死因はわかりませんが、最期までいっしょにいられ、たくさん思いを告げることができたと思っています。
意識がない風太に「風太の好きにしていいよ」と言えました。
私は風太といられて幸せだった、今もこうしていられて幸せだ、今まで本当にありがとう、楽しかった、嬉しかった、風太が私を愛してくれたこと、わかっているよ、って伝えられました。風太の歌も歌いました。ずっと風太の名前を呼びながら歩きました。

風太の故郷のニューヨークで、家族全員いっしょだったから、よかったと思っています。
苦しい時間も短かったと思います。

上の写真は12日の午後の写真で、とても元気でした。
横にあるカステラを小さく切ってあげると、すごく喜んで食べてくれ、それが最期に食べたものでした。
大好きなものを食べられて、よかったです。

このあと、私が外出から帰ると元気がなくなっていました。
「ボク、動けないよ」
と言いました。だっこしてカートに乗せ散歩に連れ出すと、足をあげておしっこをしました。
そのあと震えて、痛そうにしていて、家に帰るとやがて吐いてぐったりしました。

夜には目を開けたまま、私とも目が合いませんでした。それでも一生懸命体を起こしたりしていました。

どこか「覚悟しなくてはいけないかも知れない」と思っていました。
でも病院にいって検査されまくったり、入院したりしている間にお別れは嫌だったので、病院へ行くのは迷っていました。

翌朝になると人が支えても足を立てることができなくなったので、本当に危ないと思い、結局救急病院へ連れて行ってみることにしました。

でも私はどこか、もうだめだろう、診察や治療に期待は無い、このマンハッタンの空の下、家族いっしょに歩くことがいい。風を感じて、匂いや音を感じて、私たちの声と思いと手のぬくもりを感じてくれていたらいい、と思っていました。

何度も途中で呼吸を確認し、そのたび穏やかだったのですが、やがてその瞬間は来ました。
私はしっかりその瞬間を見届けました。風太はがんばりました。


病院で手続きをし、風太の体を抱っこしてキスしてお別れして、家に帰り、
どうしたらいいのか、わからなくなってしまいました。
何をどう考えたらいいのか、この気持ちをどうすればいいのか、わからない。
気持ちも体もどこにどう置いたらいいのか、わからなくなってしまいました。

風太は調子がおかしくなってから、ずっと日本の友達やその友達からたくさん光を送ってもらいました。私も苦し紛れでしたが最期まで送りました。
こんなに多くの光に包まれて旅立てた風太は幸運だと思います。
みんなに感謝しています。
メールや電話や、こうしてブログでも私の思いを聞いてくれて、ありがとうございます。


今日は昨日より少し穏やかな気持ちです。
きっと風太が一晩中、私がぐっすり眠り休めるようにしてくれたんだと思います。


まだ、魂は近くにいるようです。でもいずれは天国へ向かってやるべきことをやってほしいです。

一方で、風太と私の新しい関係がスタートするとも感じています。


肉体とはお別れは、ほんとうにさみしくてかなしいけれど、
魂を、すぐ近くに感じられ、むしろ肉体どうしより近い感じもします。
もう体をお留守番させるとか、ないしね。

風太はこの生での経験を終了することを選んだんだなぁ、と感じます。
ちょっと早かった気もするけど。でも風太らしい逝き方だ。


私は風太にいっぱい迷惑かけたけれど、愛して愛して愛したことだけには自信があります。
夫といっしょに、とにかく風太が幸せになるよう、楽しく過ごせるようやってきたという思いはあります。
これからももっとそうしよう、と思っていました。
「でももういいよ」って風太は思ったのかな?
風太もいっぱいいっぱい私たちを愛し、助けつづけてくれたと思います。

琴は今、少し調子を狂わせているようですし、泣いてしまう私を一生懸命心配しています。
いっぱい抱っこしたい。いっしょに乗り越えたい。


ブログの風太を見ていてくださったみなさま、ありがとうござます。

これからも、琴との生活を書いていきますし、風太の思い出も書いていきたいですし、風太の魂とのことも綴っていけたらいいなぁ、と思っています。


風太は最期までいい男でした! 大好きだよ!!!





2011-05-08

風太と琴の贈りもの


数日前、紫の薔薇が私宛に届きました。

差出人は、風太と琴です。


母の日ですって




おふくろ、うれしい?

うん!ありがとう!


風太の手書きの英語、初めて見たよ!



え゛? てがき?
あー、そう…



あたちは字ィ習ってない



 私に紫のお花が必要なことを、さてはおやぢから入れ知恵されたね。
そういう“こっそり”うれしいです。

薔薇は今日もとってもよい香りを放っています。
とても落ち着きます。



薔薇より一足先にうちに来たこの子たちも可愛い!


ありがとうね!